2月
乾燥のひどい季節だった。とにかく全身がかゆい。掻きむしれば炎症に苦しまされる。鈍い地獄がそこにあった。
1月8日
クソみてぇなクオリティの曲あげつづけて俺は何がしたいのかわからない。相応に見返りもないのに、なぜあげつづけるのか。なぜ他に優先すべきものがあるのにそっちのけであげつづけるのか。もう俺は何がしたいのかわからない。買ってくれるか。
今年の抱負
今年の抱負はとにかく生きる、といろんな場で書いたような気がするけど、実際は逆の気持ちです。これ以上わしのような憎まれっ子が世に憚ってはいけないような、ていうのは建前なんだけど。とりあえずこのいかんともしがたい実状を打破するにはそういった選択がむしろ現実的に感じるような。楽しいこともあります。楽しいことばかりかもしれません。
大晦日はガキ使で腹痛くなるまで笑ったし、だらだらモンハンやったりもするし。一生懸命ダラダラしているってのは矛盾しているような気がするけど、現状の自分を指すにはそう表現するのが一番的を射ているようなので。楽しい時間は確かにあるんだけど、夜やたらしんどいように感じることはまぁ多くなった気がする。それもあまりに漠然としていて、いびつでくだらないようなものなんだけど、だからこそやるせない。自分的には、しんどい時間がなけりゃ楽しい時間なんていらないって考えがあるので、その道がいわゆる楽になるってことなんですよね。当然そんな度胸は持ち合わせてないけど。わざわざ家をでてそこそこ遠い駅まで来て躊躇するって行動を何回か繰り返しているあたりその辺の事実は明らかです。じゃあがんばれよって言われても、がんばれないんだよなぁ。まとまらんくなってきたけどね、かくのよ
あたらしい年がきた
あけましておめでとうございます。今年は、どんな年になることでしょう。生きたいと思います。
現状の確認
高校を卒業してニートに至るまでの経歴を、今年を振り返るつもりでざっくりまとめてみる。
3月、高校卒業。特に行きたい大学もなく、適当に志望して、適当に落ちる。浪人ルートが確定してからはとりあえず公務員を目指すことにした。もちろんこんな熱意もくそもないゴミが受かるような、というか受かっていいような試験ではなく、秋頃行われた2次試験の面接であえなく轟沈。来年もとりあえず同じ道を目指すとして、ろくに勉強もバイトもせず今に至る。試験で落ちてからはそれはそれは堕落した日常が続いた。午後2時頃に起き、午前4時頃に寝る。平日と休日の区別はせいぜい、昼間のツイッターのタイムラインに人がいるかいないかくらいの違いである。そのタイムラインじゃ大学受験のためにヒィヒィ言いながらも勉強を頑張る人とか、バイトで得た給料で何を買おうかウキウキしている人とか、俺からは眩し過ぎて到底見れたものじゃないツイートが並ぶ。別に不幸な呟きを望んでいるわけではないが、現状の自分にとってはとても堪えるものがある。
すごい単純な堕落。ただ、なにもしたくない。
これからどうなるかはわからない。考えたくもない。
なんとなくこのままじゃ悲惨な未来が待っていることくらいならわかっているつもりではある。
昔からそうなんだけど、どんなに目の前に危機が迫っていても、焦ることができないんだわ。いや、焦ることはできるんだけども、それを行動に移すことが難しいのか。宿題はほとんど終わらせたことがない。大学受験だって、家では1時間も勉強をしていなかった。
なぜ他の人は努力できるのに、なぜ他の人は自分の道を自分で決めることができるのに、俺にはそれができないんだろう。
今年はそんな一年だった。生きていて最も無駄で、最もくだらなくて、それでいて最も重大な一年。
俺も連れてってくれ。どうすりゃそこまで頑張れる。
症状ファイル1.すぐ驚く病
すぐ驚く。たとえばインターホンがいきなりなる。それくらいならみんな驚くんじゃないのか。だけどちょっと声かけられたり、物が落ちたりする音にすらすごい驚く。ノックの音もすごい苦手。
驚いたときの嫌悪感は目を見張るものがある。相手に対してではなく、自分に対しての嫌悪感が。
別に相手には自分のことを驚かせようという意思があるわけではない。無理強いする気はないけど、声をかけたいときはそれなりの脈絡を見せてから、ノックをするときも、まず存在を明らかにしてくれ。それから、ノックの音はクレッシェンド調で頼む。「前ぶれ」があるだけで、だいぶ負担へるもんなんだよ